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    <title>航空会社</title>
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    <updated>2012-05-18T15:50:17Z</updated>
    
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    <title>苦渋のアライアンス入り - ＪＡＬ、ＡＮＡ　航空会社</title>
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    <published>2012-05-18T15:45:45Z</published>
    <updated>2012-05-18T15:50:17Z</updated>

    <summary>アライアンス（国際航空連合）への加盟問題である。これまでの方針を転換し、05年10月25日に大航空連合の一つである「ワンワールド」への加盟決定を発表した。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nishifuku8451.net/">
        <![CDATA[<p>
	３つ目は、アライアンス（国際航空連合）への加盟問題である。これまでの方針を転換し、05年10月25日に大航空連合の一つである「<a href="http://ja.oneworld.com/" target="_blank">ワンワールド</a>」への加盟決定を発表した。</p>
<p>
	90年代の半ばから、世界ではアライアンス意識が高まり、世界の20傑以内に挙げられる国際エアラインは、次々と３大アライアンスのいずれかに加盟する中で、ＪＡＬだけは孤高の立場を守ってきた。国際線のネットワークが少ないＡＮＡは、99年に「スターアライアンス」に参加し、販売提携、ネットワークの補完、施設の共同使用、物品の共同購入などで大きな成果をあげている。ＡＮＡの場合は表舞台でのビジネスに加え、国際線ビジネスの経験が浅く、加盟社からのノウハウ吸収にも大いに役立った。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	ＪＡＬも各社の動きに刺激され、90年代末にはワンワールドヘの加盟直前までいったにもかかわらず、最終的にとどまったのは、加盟によって得るメリットよりも、システムの統合などメンバーとして課せられる負担の方が大きいと判断したからだ。ＪＡＬによれば、日本人の旅行パターンは日本と目的地との行き来が圧倒的で、３国間の移動が少ないため、グローバルなアライアンスよりも、日本関係路線で相手国エアラインと個別提携する方が、メリットが大きいと説明してきた。</p>
<p>
	当初は、各アライアンスから執拗なまでの勧誘があったのだが、ＪＡＬは姿勢を変えず、22社と個別提携を結んでいる。提携先はワンワールドのメンバーが多いが、他のアライアンス加盟社とも行っており、まさに「おいしいとこ取り」状態だった。ＪＡＬでは、ワンワールド加盟後も「他アライアンスの加盟社との２社提携は継続できると確信している」と言明しているが、そのような我がままは通らないだろう。</p>
<p>
	さらに、今さらアライアンスに加盟しても、ＪＡＬは中核的地位どころか、重用されないことは明らかだ。また欧米では、これからのアライアンスは単なる提携ではなく、国籍を超えた企業統合に進むとの見方さえ出ている。それでもあえて方針を変更する理由は、経営環境の悪化にある。燃料費の高騰は、国際線の比重が高いＪＡＬの経営を直撃し、今期の負担増加額は９１０億円と見込まれる。国際線のコスト削減はなかなか進まず、一連のトラブルで客離れは上期だけで３２０億円にも達した。経営が苦しくなったＪＡＬは、ＪＡＳとの統合の際に公正取引委員会に誓約した「３年間の運賃据え置き」期間が切れるのを待ち焦がれ、06年１月から国内運賃の値上げを行うつもりだった。にもかかわらず、今期９割分の燃料を先物予約していたＡＮＡが、年度内値上げを見送ったことで、ＪＡＬはさらに追い詰められている。</p>
<p>
	ワンワールドのメンバー社とは、すでに日本関係路線で個別提携を結んでいるにもかかわらず、アライアンスに加盟する狙いは、アライアンス他社のフライトを当てにして、自杜便を思い切って縮小し、国際線の黒字転換を図ることにある。ＪＡＬは直近の課題の解決に目を奪われ、これまで培ってきた独自の企業戦略を放棄するようだ。</p>
<p>
	そして、今最も大切なことは、「ＪＡＬの安全性が確立した」と明示できる報告を社会に向けて行い、利用者の安心と信頼を取り戻すことだ。それは経営陣の問題だけではなく、社員を含めた企業、グループ全体の課題である。</p>
<p>
	従業員５万人、保有機材約３００機、売上高２兆円、売上規模世界３位の新Ｊ&Lambda;Ｌグループは、再度きれいにテイク・オフできるのだろうか。<span style="display: none">&nbsp;<span style="display: none">&nbsp;</span></span></p>
]]>
    </content>
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    <title>基盤の弱い新町体制 - ＪＡＬ、ＡＮＡ　航空会社</title>
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    <published>2012-05-13T03:25:53Z</published>
    <updated>2012-05-10T03:45:31Z</updated>

    <summary>一方で、新町には早急に取り組まなければならない課題が山積している。ＪＡＬＩＪＡｓ統合を成し遂げ、新たなＪＡＬの中期計画として明示されている「2007年度に、世界のトップエアライン・グループ」を実現するための具体策を提示・実行していかなければならない。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nishifuku8451.net/">
        <![CDATA[<h3>
	注目される新ＣＥＯの手腕は</h3>
<p>
	2005年６月１日、ＣＥＯに就任した新町は御巣鷹山の慰霊登山でスタートを切った。65年入社の新町にとって、御巣鷹山事故は会社生活の中で最も強烈な衝撃で、あの事故以来、「航空輸送にとって事故はいかに重大なことか」が身にしみていた。兼子体制の時代には、トップと現場の距離が遠ざかり役員が現場を把握できていなかったとの反省に基づき、ＣＥＯに着任以来、現場回りを積極的に行い、社員たちとの「緊急安全ミーティング」を重ねている。そして、ミーティングの途中で必ず御巣鷹山事故の記録フィルムを映す。事故を体験しなかった世代と、安全への認識を共有するためだ。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	一方で、新町には早急に取り組まなければならない課題が山積している。ＪＡＬ-ＪＡＳ統合を成し遂げ、新たなＪＡＬの中期計画として明示されている「2007年度に、世界のトップエアライン・グループ」を実現するための具体策を提示・実行していかなければならない。</p>
<p>
	社内の人事抗争も、一連のトラブルによる社会からのバッシングを受けて、沈静化の様子を見せてはいるが、以前の兼子体制に比べて、首脳部の体制は格段に弱体化している。７年の在任期間中に、「独裁政権」とまで恐れられるようになった兼子の後ろ盾がなくなったことに加えて、旅客営業を束ねてきた羽根田がトップから降りた。すべての権限が集中してやりやすくなった面もあるが、社内の少数派である貨物部門出身の新町には、強力なりーダーシップを発揮しにくい状況にある。</p>
<p>
	そうした中で決定された重要事項が３つある。１つ目は、安全問題に対する現場からの要望に対する回答で、運航ダイヤを見直し、11月から２割のフライトの所要時間を５～10分延ばす決定を行った。空港の大型化や混雑でダイヤ通りの運航が厳しかった羽田、成田、伊丹、福岡空港での定時発着にゆとりを持たせた。さらに、昼問の羽田、成田、関空、ロサンゼルス空港で、十分な惟備時間を確保するために、折り返しのための待機時間を拡大した。この結果、所要時間が60～65分だった羽田―伊丹線は一律70分となって、新幹線との競争に厳しい状況にはなるが、社内の声を尊重し、「安全性重視」の姿勢を優先させたものだ。</p>
<p>
	２つ目は、ＪＡＳの統合方法を決定したこと（05年10月５日）だ。日本航空インターナショナルと日本航空ジャパンの事業会社を、06年10月１日に合併する。持ち株会社の日本航空は法人としてそのまま存続するが、事業会社との兼務者で構成し、必要最小限にスリム化する。また、組織の重複が問題になっている販売部門は、航空券の販売業務はＪＡＬセールスから日本航空インターナショナルに、海外旅行商品の販売はジャルパック本体に統合、国内旅行商品の販売はＪＡＬトラベルから、ＪＡＬセールスに名称変更する会社にそれぞれ４月１日付で、移管することとした。</p>
<p>
	だが、ここで問題なのは、従業貝の労働条件を、高いＪＡＬインターではなく、低いＪＡＬジャパンに合わせられるか否かだ。</p>
<p>
	新町は「低い基準に合わせないと競争力の点からも苫しくなる」と繰り返しているが、労働組合が９つも存在するうえに、05年11月７日に緊急のコスト削減策として発表された「ＪＡＬグループ企業改革方針」で基本給の平均10％引き下げ案が盛り込まれたことから、交渉は難航が予想される。ＪＡＬの社貝はプライドと自己保身の意識が強く、経営に対する危機感と社内の一体感に欠ける。会社が大きな危機に遭遇してもＡＮＡのような迅速な動きがとれず、コスト対応力が極めて硬直的な体質のままだ。しかし、新しい人事待遇制度で「引き下げ」が実現できなければ、ＪＡＬの明日はない。新町のリーダーシップがいよいよ試される。<span style="display: none">&nbsp;<span style="display: none">&nbsp;</span></span></p>
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    </content>
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    <title>人心を見失っているＪＡＬ - ＪＡＬ、ＡＮＡ　航空会社</title>
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    <published>2012-05-12T03:19:28Z</published>
    <updated>2012-05-10T03:22:10Z</updated>

    <summary>競合相手もなく、搭乗率が86％もあるのならば、一般の企業は値上げをしてでも採算に乗せることを考えるだろう。ＪＡＬが撤退する理由は、赤字の国際線の建て直しだが、怒りの収まらない市長は、直後に福岡を訪れた米国大使に「米国企業に就航するよう取り次いでほしい」と伝えている。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nishifuku8451.net/">
        <![CDATA[<p>
	地方路線の切り捨てで噴き出す地元の不満だが、さらにトラブルは続いた。８月191日の夜に、福岡空港からホノルルヘ向けて離陸したＪＡＬウェイズ機がエンジントラブルを起こし、金属片が市街地に落下した。地上で５人が軽い打撲や火傷を負い、車や住宅などに30件の被害が発生した。地元ではＪＡＬの整備に対する不満と不安の声が上がったのだが、ＪＡＬと国交省の対応は鈍く、批判の声が一気に高まった。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	実は、この件には一つの伏線があった。初夏にＪＡＬが「福岡発着の国際線４路線のうち、上海線以外を10月に廃止する」旨を明らかにしたことで、地元では大きな不満が出ていた。中でも福岡－ホノルル線は、「欧米便のない福岡空港にとって、県民のプライド」（市役所幹部の言）だった。地元には「これまで一緒に育ててきた路線」との自負もある。驚いた山崎広太郎市長はＪＡＬ本社を尋ね、「年間利用者が17万<br />
	人、搭乗率が86％にも達しているホノルル線を含めて、継続してほしい」と再考を申し入れたが、対応した役員は「福岡発着の国際線はすべて赤字。ホノルル線は、搭乗率がたとえ１２０％になっても採算がとれない」とニベもなかった。</p>
<p>
	競合相手もなく、搭乗率が86％もあるのならば、一般の企業は値上げをしてでも採算に乗せることを考えるだろう。ＪＡＬが撤退する理由は、赤字の国際線の建て直しだが、怒りの収まらない市長は、直後に福岡を訪れた米国大使に「米国企業に就航するよう取り次いでほしい」と伝えている。</p>
<p>
	このような仕打ちを受けた福岡県民は、これから成田や関空経由でＪＡＬ便を利用するだろうか。ＪＡＬは地方路線の維持に淡泊すぎる。自国の国民から見放されたフラッグ・キャリア（国を代表する航空会社）は、存続できるはずがない。</p>
<p>
	そこにエンジントラブルが起き、住宅密集地に７３３点もの金属片が降り注いだのだ。翌日の新聞は１面トップでこのトラブルを報じたが、国交竹は杓子定規に「通常のトラブル」として扱い、事故調査委貝の派遣を見送った。これに対して、麻生渡県知事が「都市部の真ん中に、部品が落下したことの重大性を認識すべき。国は運航面からしか考えておらず、『専門バカ』だ」と咄みついた。ちなみに、トラブル当日の午前中に、小故から20川年を迎えた御巣海山の山頂で、「事故の再発防止」を誓った新町が、謝罪と説明のために福岡を訪れたのは２週間後だった。いまＪＡＬが取り組むべきことは、失いかけている社会からの信頼を取り戻すことなのだが、最近のＪＡＬは人心を見失ってしまっているようだ。</p>
<p>
	人心をつかめずに失敗したもう一つの例は、熊本空港への深夜貨物便の就航延期の件だ。03年にＡＮＡが開設した新千歳－羽田－佐賀間の深夜貨物便が好評なことに触発され、ＪＡＬは05年７月から熊本空港にＡ３００を就航させようとした。熊本から高速道路を使用して九州一円と首都圏を結ぼうという計画で、県や地元産業界の後押しもあった。　筆者は、「トラブルの続いている&rdquo;謹慎期間中&rdquo;に無理をするのはやめた方が良いのでは」と思っていたが、ＪＡＬは、６月３日の地元住民向け説明会で「テスト飛行での騒音は事前説明よりもはるかに大きく、安眠が妨げられる」との反対意見が数多く出たにもかかわらず、８日に路申請に踏み切った。ＪＡＬは支援を約束していた熊本県の事前の言質を鵜呑みにし、再度の話し合いや再テストも行わずに申請を行ったのだが、説明会での住民の予想以上の反発に恐れをなした県と国土交通省の姿勢は変わっていた。国交省は「住民の動向を見極めたい」として申請を受け付けず、ＪＡＬは異例の申請取り下げの事態に追い込まれた。地元の反対派は「説明会の継続を要望している矢先に申請を強行するとは住民をバカにしている」と反発を強めており、本命の05年末～06年始の需要期にも就航できなかった。<span style="display: none">&nbsp;<span style="display: none">&nbsp;</span></span></p>
]]>
    </content>
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    <title>トラブル多発で引責に追い込まれる - ＪＡＬ、ＡＮＡ　航空会社</title>
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    <published>2012-05-11T02:50:29Z</published>
    <updated>2012-05-10T02:56:54Z</updated>

    <summary>３社の統合発表から３週間後、ＪＡＬでは運航トラブルが次々と明らかになり、安全問題が一気に浮上する。まず、２ヵ月も前のトラブルが大々的に報道される。２月28日の新千歳空港で、滑走路上に着陸したＡＮＡ機がいるにもかかわらず、管制官の離陸許可を受けないままＪＡＬジャパン機が離陸滑走を始め、管制官に制止されていた事実が発覚した。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nishifuku8451.net/">
        <![CDATA[<h3>
	シナリオの崩壊</h3>
<p>
	３社の統合発表から３週間後、ＪＡＬでは運航トラブルが次々と明らかになり、安全問題が一気に浮上する。まず、２ヵ月も前のトラブルが大々的に報道される。２月28日の新千歳空港で、滑走路上に着陸したＡＮＡ機がいるにもかかわらず、管制官の離陸許可を受けないままＪＡＬジャパン機が離陸滑走を始め、管制官に制止されていた事実が発覚した。次いで、ＪＡＬインターがシャッポ機のうちの５機で、規定外部品を取り付け８年間も飛行を続けていたことが発覚。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	一方、経営陣は３月10日に中期経営計画を発表し、人員削減の1400人の上乗せと、採算の見込みのない国際線の廃止などで、07年度に営業利益1000億円とする目標を掲げた。同時に、兼子自身が６月の株主総会で最高経営責任者（ＣＥＯ）を退いてＣＥＯを新町敏行日本航空社長に譲るとともに、旧ＪＡＳ出身の役員を21人から、３分の１の８人に減らす役員人事も発表した。ＪＡＬインターの羽根田勝夫社長が４月にＪＡＬジャパンの社長に就任し、新町がグループのＣＥＯ、羽根田が事業会社の社長という布陣を敷いた。ＪＡＳの比重は一気に薄まり、「対等」から「吸収」への色が鮮明になった。兼子としては、ＪＡＳ統合の方向性を明示し、「ポスト兼子体制」の移行を明確にした。</p>
<p>
	しかし、社内からは「兼子院政体制にすぎない」との不満が噴出した。さらに、トラブルは激しく頻発した。機体の異常や部品の落下に加え、３月11日には<a href="http://www.i-creditcard.net/column/kuukou-raunji.html" target="_blank">ソウルの仁川空港</a>で、ＪＡＬインター機が管制官の指示を聞き間違えて滑走路に入ったため、降下中だった韓国機を回避させた事実が判明。16日には羽田発札幌行きのＪＡＬジャパン機が、客室ドアの非常川脱出装置をセットせずに運航した。だが奇っ怪なことに、<br />
	一巡のトラブルの中には、内部の人間しか知り得ない通報が、多く含まれていた。しかも、企業の姿勢を正したいとする「内部告発」であるならば、監督官庁などになされるべきなのだが、情報はマスコミに流された。国交省記者クラブの某社の１日は、「関係者からのタレこみ」の電話から始まる状況だった。</p>
<p>
	重大トラブル続出に驚いた国交竹は、17日に異例の事業改善命令をＪＡＬインターに、グループ各社には国交相名の驚告書を出した。事業改善命令を受けたＪＡＬは、経営陣の引責を発表し、日本航空会長兼グループ最高経営責任軒だった兼子が代表権を返上した。さらに、ＪＡＬインターの羽根川勝夫社長を剛社長に格下げするとともに、同氏が４月から兼務する予定たったＪＡＬジャパンの社災就任を見送るなど、主脳役貝５人の降格を行った。</p>
<p>
	ＪＡＳ統介を成し遂げる新経営陣の体制が、１週間で抜本的な見直しを追られた。エアラインとして重要な「安全問題」で、役員の責任を明確にしなければならないが、３社の統合が６月の株主総会を通らなければ、これまでの努力が水泡に帰す。兼子は追い詰められた。</p>
<p>
	エアラインの経営では、社員の安全意識が希薄にならないよう、絶えず新たな観点から問題提起を行わなければならない。ＪＡＬの場合でも、御巣鷹山の墜落事故から20年が経過し、社内の意識も希薄になっていることに加えて、事故を体験していない世代が過半数を占めるようになった。単に「御巣鷹山の事故を忘れないように」と唱えても、実感が湧かない社員が増えているのである。</p>
<p>
	ここに管理部門出身の、兼子の弱みがあった。「エアラインの社員なのだから、事故を起こしてはならないことはわきまえているはずだ」との思い込み、「世界トップレベルの我がＪＡＬの現場が、お粗末なはずがない」とのプライドもある。だが、決定的だったのは、現場を把握できていない現業部門との距離感だった。兼子は会見で、「安全体制に不備があったとは思わない」との趣旨の発言をし、批判を浴びた。兼子の頭の中は、半年間における社内抗争の渦中で、ＪＡＳの統合を成し遂げることで一杯だったのではないだろうか。</p>
<p>
	トップの責任降格を行ったものの、それでもミスやトラブルは止まらず、３月20日には帯広空港で着陸したジェイェア機が、管制官の指示とは賢なる誘導路を走行。９月１日には、福島空港に着陸したＪＡＬジャパン機が滑走路に機体後部を接触、徳島空港ではＪＡＬジャパン機を点検していた同社の高所作業中が主翼先端に接触、成田空港ではブリスベンから到着したＪＡＬインター機のエンジン付近のパネルが脱落<br />
	と、１日で４件のトラブルが発生するなど、ＪＡＬ機のトラブルが報じられない日はないという賢常な事態となった。</p>
<p>
	国交省は即日に、全国の航空・鉄逆事業者に輸送安全総点検を通達し、28日には航空局の岩崎局長自ら、ＪＡＬの介察に入った。</p>
<p>
	しかし、４月に入っても事態は沈静化せず、３日から５日、９日から17日は、ほぽ毎日のようにＪＡＬの名前が社会面を飾った。個人客のＪＡＬ離れが話題に上るようになった中、４月14日には事業改善命令に対する改善策を国交省に提出した。</p>
<p>
	月が替わり、ＪＡＬのトラブル騒ぎも３ヵ月目となって、世間もうんざりしていた５月。人々を震憾させるに余りあるトラブルが立て続けに発生する。８日にサンパウロから成田に向かっていたＢ７４７が急減圧を引き起こし、8000mを緊急降下して新千歳空港に緊急着陸。15日には、ジャカルタ便が成田着陸の際に、機内食の配膳用カートの収納が間に合わず、客室乗務員がカートを手で押さえて着陸。30日にはシドニー空港で、離陸しようとしていたＢ７４７の主脚が破断。さらに20日には、機内販売で乗客から預かった、46人分のクレジットカードの控えを紛失していることも判明した。そして、６月15日には大勢の人間の見ている羽田空港で、新千歳発のＢ７６７の前輪のタイヤが２本とも吹っ飛ぶという、前代未聞の重大事件が発生した。</p>
<p>
	止まらないトラブルに兼子の採った最後の策は、取締役会長の退任だった。５月末で会長職からも退き、６月１日で常任顧問に就任する人事を公衣した。これで、自分が取締役会長となって後ろ盾となり、新町社長が念願のＪＡＬ－ＪＡＳ統合を仕上げるという兼子の最後のシナリオも崩れてしまった。<span style="display: none">&nbsp;<span style="display: none">&nbsp;</span></span></p>
]]>
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    <title>人事抗争に明け暮れるＪＡＬ - ＪＡＬ、ＡＮＡ　航空会社</title>
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    <id>tag:www.nishifuku8451.net,2012://2.4</id>

    <published>2012-05-10T02:36:29Z</published>
    <updated>2012-05-10T02:43:26Z</updated>

    <summary>２月４日に「ＪＡＳ統合の仕上げとして、持ち株会社日本航空と事業会社２社（ＪＡＬインターとＪＡＬジャパン）を06年度に統合する」との発表を行った。ほとんどのメディアは発表を額面通りに受け止めたが、兼子の描いたシナリオの崩壊によって、統合作業が一部やり直しになることは明らかだった。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.nishifuku8451.net/">
        <![CDATA[<h3>
	派閥抗争が合理化を停滞させる</h3>
<p>
	90年代までのＪＡＬは、東大を中心とする国立大学出身者が牛耳る管理部門（人事・経営企画）と、私学出身者が幅をきかせる営業部門が別個の派閥をつくり、社長ポストを巡って絶えず社内抗争を繰り広げていた。抗争にはＯＢ、株主、取引先、組合、政治家や官僚までが介入した。利権も絡むので、足の引っ張り合いや誹誇中傷を伴い、どちらが勝っても新たな禍根を残した。ドロ仕合の中から天下を取った派閥は同志を俊遇し、同じ陣営として闘った組合に対しては合理化どころか物も言えない関係になる。一方の負けた派閥は経営陣の経営計両に協力せず、経営陣を引きずり下ろすためのあら探しに明け暮れる。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	このような状況を嘆き、派閥抗争に終止符を打とうと、前々社長の近藤は任期半ばながら、当時の派閥のボスたちを道連れに辞任し、派閥に染まっていなかった兼子に後を託したのである。</p>
<p>
	兼子は派閥抗争の解消を含め、無心でＪＡＬの構造改革に取り組んだ。しかし、７年の政権維持の過程で必然的に派閥をつくっていた。自分の考えを理解し、ともに実行する労務・管理畑の出身者を重用し、営業畑の幹部を遠ざけ、兼Ｔ派を築いていたのである。一方、おとなしくしていた営業畑の幹部たちは、なかなか訪れない出番にいらだちが募っていた。</p>
<p>
	兼子が事前に描いたシナリオでは、ＪＡＳを統合して国内・国際の両市場でトップシェアを握り、ＡＮＡとの売上高格差を１・３倍から１・７倍に広げ、世界のエアライン業界でのランキングは、６位から３位に浮上し自立路線を堅持する。しかも重要なことは、国内部門の売上比率は01年の28％から６ポイント増やして34％にまで拡大させ、統合効果で収益率も向上し、経営の安定度が高まるはずだった。</p>
<p>
	だが、国内巾場でのシェアの低下は、国内部門の売上比率を期待値まで引き上げられないばかりか、収益性も改善できない。ちなみに、統合前01年度の売上高営業利益率は４.６％あったものが、04年度は２.６％に下がっている。中期経営計画が達成できたとしても、06年度は４.１％、07年度でも４.４％にしかならない。</p>
<p>
	社内の逆風は強まる一方だったが、兼子としては簡単にＣＥＯを降りるわけにはいかなかった。政権後半のすべてをかけて、ＪＡＬ－ＪＡＳ統合によるＪＡＬの構造改革を推進してきただけに、何としてもＪＡＳの統合作業をまとめ上げて、ＪＡＬ宿願の、バランスのとれた企業を実現したかったからである。しかし、社内からの逆風はますます強くなる一方だった。</p>
<p>
	やむなく、兼子は自分のＣＥＯ任期の終了時期を早める覚悟を決め、旧ＪＡＳの別会社構想を断念し、旧ＪＡＳのＪＡＬインターナショナルヘの統合を決意する。05年６月の役員改選でＣＥＯを後継者の新町敏行に譲り、自分は代表権を維持するものの会長職に退くことによって、社内の反発を和らげ、ＪＡＬ－ＪＡＳの完全統合を実現しようと考えていたものと推察する。</p>
<p>
	２月４日に「ＪＡＳ統合の仕上げとして、持ち株会社日本航空と事業会社２社（ＪＡＬインターとＪＡＬジャパン）を06年度に統合する」との発表を行った。ほとんどのメディアは発表を額面通りに受け止めたが、兼子の描いたシナリオの崩壊によって、統合作業が一部やり直しになることは明らかだった。特に、従業員の労働条件、人事制度の統一が必要になる。しかも本体への統合は、「合併のマイナス要因をＪＡＬに持ち込まない」という前提条件さえも破るものだった。ＪＡＳの溜めた3000億円もの有利子負債と、累積赤字１２７億円も持ち込むことになる。「それでは、何のための合併だったのか」、「無理にＪＡＳを吸収しなくとも、ＪＡＬのリストラを徹底していれば、現状以上の成果をあげられたのではないか」、「合併自体が経営の判断ミスだったのでは」、との批判が社内に高まった。<span style="display: none">&nbsp;<span style="display: none">&nbsp;</span></span></p>
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    <title>現れない統合効果－海外事情に振り回される利益 - ＪＡＬ、ＡＮＡ　航空会社</title>
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    <published>2012-05-05T19:09:10Z</published>
    <updated>2012-05-05T19:12:19Z</updated>

    <summary>完全統合による新ＪＡＬのスタートは、04年４月１日に決定した。２月には新社名とトップ役員が決定する。持ち株会社「日本航空」（名称変更）の新社長は新町敏行、旧ＪＡＬを「日本航空インターナショナル」として社長は羽根田勝夫（ＪＡＬ出身）に、旧ＪＡＳは「日本航空ジャパン」と称し社長は小松原光雄（ＪＡＳ出身）とした。そして、兼子勲は「日本航空」の最高経営責任者（ＣＥＯ）のまま、社長から会長に就任（役員の正式人事は６月）した。
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        <![CDATA[<p>
	完全統合による新ＪＡＬのスタートは、04年４月１日に決定した。２月には新社名とトップ役員が決定する。持ち株会社「日本航空」（名称変更）の新社長は新町敏行、旧ＪＡＬを「日本航空インターナショナル」として社長は羽根田勝夫（ＪＡＬ出身）に、旧ＪＡＳは「日本航空ジャパン」と称し社長は小松原光雄（ＪＡＳ出身）とした。そして、兼子勲は「日本航空」の最高経営責任者（ＣＥＯ）のまま、社長から会長に就任（役員の正式人事は６月）した。</p>
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        <![CDATA[<p>
	だが、社員からの信頼が厚い船曳を新しいＪＡＳの企業体であるＪＡＬジャパンの会長に据え、一気にＪＡＳのリストラを行うつもりだった兼子のシナリオに、狂いが生じた。般曳の「わたしの身はどうなっても構いませんが、社員だけはよろしくお願いします」との紳士的態度と、ポストに閥執しない潔さにひるんでしまったのである。社内で人事抗争に明け林れるＪＡＬとは異なり、学生時代にバスケットボールに明け暮れていた兼子が思い出したスポーツマンシップの清々しさでもあった。</p>
<p>
	大胆なリストラが必要と信じて、猛進してきた兼子の心に仏が生まれた。簾子は一歩引いて、役貝ポストの４割を旧ＪＡＳに与え、ＪＡＬジャパンのリストラを旧ＪＡＳの役貝に委ねることにした。だが、この情けが命取りになる。</p>
<p>
	パイロットの処遇をみても、実際の乗務時間を基準に、乗務手当を支給する「新賃金体系」への移行を終えていたＡＮＡやＪＡＬに対し、ＪＡＳでは従来の慣行に基づく既得権で、乗務時間が基準値に達していなくとも、65時間分の乗務手当が保証されていた。さらに、信じられないことに、救済された側のＪＡＳの給与水準は、整備など一部の部門でＪＡＬを上同っていた。ＭＥＪＡＳの経営陣は、主力銀行からの融資の前提として要求されたリストラを断行できていなかった<br />
	が、ＪＡＬのバッジに付け替えても人ナタは振るえなかった。</p>
<p>
	一方、旧ＪＡＬの国内部門からＪＡＬジャパンに送り込まれた竹理職たちは、我が物顔でふるまった。元来、国際部門中心のＪＡＬでは、国内部門は～の当たらない存在だったのが、いきなり、勝利を収めた占領軍の将校同様になったのだから、勝ち誇ったように権限を振り回し出した。</p>
<p>
	もともと、「坊ちゃん」育ちの多いＪＡＬの社貝には採算意識が薄いうえに、ＪＡＳの「草の根を這う」ような営業感覚は理解ができなかった。旧ＪＡＳの社員にしてみれば、ＡＮＡ、ＪＡＬの激突する市場で営業成績を上げるためには、細かい成果の積み重ねしかなかったのだが、それが評価されず、合理化ばかりを強いる毎日では、モラールが下がるのは当然だった。営業担当者は、現場を知らない管理職の理解を得ることに神経を擦り減らすよりも、新たな管理職に馬を合わせている方が楽だし、「坊ちゃん」管理職は、旧ＪＡＳ社員のあら探しをして、売上が目標を達しない理由を本社に報告するのが常となった。</p>
<p>
	だが、03年度には、またもやＪＡＬ経営の弱点がさらけ出された。ＳＡＲＳ（新型肺炎）とイラク開戦によって国際旅客が大幅に落ち込み、ＪＡＬは赤字に転落したのだ。国際線の依存度が約７割と高いだけに、売上が予算（２兆３２０億円）比で４・９％減っただけで、損失は５００億円も上積みされてしまった。もともと予算段階で、２兆３２０億円の売上に対し、２２０億円の経常損失、４３０億円もの当期損失を見込んでいる計画が承認されること自体、民間企業としてはおかしなことなのだが、経営者も社員も、売上の変化にコスト面で対応しない硬直的体質なのである。</p>
<p>
	一方のＡＮＡは、国際線の比率が航空輸送事業の22％と低いとはいうものの、緊急の販売促進策とコスト削減策を実施して、04年度には３３４億円（前期比の２・２倍）もの経常利益（連結ベース）を捻り出した。マネージメント意識、社員の採算意識の差である。</p>
<p>
	ＪＡＬとＪＡＳは、04年４月に完全に統合したので、04年度のＪＡＬグループの国内線のシェアは首位を確保するはずだった。ちなみに、経営統合前0１年の３社のシェアは、１位ＡＮＡグループ49.0％、２位ＪＡＬグループ25・２％、３位ＪＡＳグループ23・９％であり、ＪＡＬ-ＪＡＳグループを合算して49.1％と、ＡＮＡグループをヒ回るはずだった。ところが、04年上半期の国内線の実績は、22255万人のＡＮＡグループに、ＪＡＬグループは３万人及ばず、ＡＮＡは肖位を獲得した。さらに、ＡＮＡは03年から取り組んでいた経費削減策が順調に成果をあげ、燃料費鳥の１５０億円を吸収したうえ<br />
	で、２９０億円もの経常利益を出した。</p>
<p>
	ＪＡＬは、4500人の社員の削減、人件費の安い外国人の客室乗務ｎの拡大、退職金の減額を盛り込んだ中期経営計画を04年３月末に発表した。04年の合併効果を４９０億円と見積もったうえで、経常利益は６９０億円になると、余裕をもって期をスタートさせた。イラク戦争は短期間で決着し、ｓＡＲＳや鳥インフルエンザも終息し、さらに、高めの原油価格も春の温暖期に入れば下がるとみていた。ところが、国際・国内ともに旅客は思ったほどに伸びないことに加え、原油価格はさらに上昇した。年間のジェット燃料費（シンガポールでのケロシンの価格）を1バレル当たり34ドルと見積もっていたが、実際には60ドルを超える日が続き、燃料費だけで５５０億円の損失を被ることとなった。慌てた兼子は、有利子負債の削減を狙って本社ピルの売却（６５０億円）を行った。　いつまで経っても統合効果が寄与しないどころか、合理化のための削減目標人数だけが上積みされていく。そのため、04年秋からＪＡＬ社内の兼子執行部への不満が、表に現れてきたのである。確かに、兼子の描いたＪＡＳ統合のシナリオは実現しなかった。統合効果が出ないうえにシェアもＡＮＡに逆転されたのでは、何のためにＪＡＳを吸収したのか分からない。</p>
<p>
	社内には怪文書が飛び交い、04年12月には兼子を見込んで経営のバトンタッチを行った前社長の近藤晃も、「業績の低迷からの脱却を図るためにも、長期政権に終止符を打ち、人心を一新するよう」提言した。明けて05年１月11日には、御巣鷹山事故のときの専務だった平沢秀雄、萩原雄二郎、橋爪孝之の３人が兼子に面会し、「国内・国際ともにＡＮＡに苦戦するなど、経営が低迷し、回復の兆しが見えないのは、長期化した兼子体制の責任である」と指摘したうえで退陣を勧告した。<span style="display: none">&nbsp;<span style="display: none">&nbsp;</span></span></p>
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    <title>ベストだった当初の兼子構想 - ＪＡＬ、ＡＮＡ　航空会社</title>
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    <published>2012-05-05T18:51:17Z</published>
    <updated>2012-05-05T19:04:39Z</updated>

    <summary>1980年代から変わらないＪＡＬの経営課題に、「国内売上の拡大」と「コスト削減」があり、企業の「俳造改革」が求められている。60～70年代の急成長で、輸送実績こそ世界のトップグループに到達したものの、「高コスト体質」まで一緒に運び込んできてしまったからだ。</summary>
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        <![CDATA[<h3>
	構造改革に必要だった国内線シェア</h3>
<p>
	1980年代から変わらないＪＡＬの経営課題に、「国内売上の拡大」と「コスト削減」があり、企業の「俳造改革」が求められている。60～70年代の急成長で、輸送実績こそ世界のトップグループに到達したものの、「高コスト体質」まで一緒に運び込んできてしまったからだ。業績は収益力に乏しいうえに不安定で、財務体質は合格点に達していない。好況のときには大きな利益を出す反面、企業環境の変化に弱く、海外で突発的な心Ｉ態が発生すると空前の赤字に転落する。海外事業のウェイトが鳥く、海外での突発事件や為替の変動など、環境要因の変化が経営を直撃するためだ。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	このような課題が指摘される中で、80年代からの経営陣は正攻法で国内事業の強化による経営の安定と、コストの低減に収り組んできた。国内ローカル線へ積極的に参入するとともに、ブランドカを活用して小業の多角化に傾注した。だが、ローカル市場への参入は容易ではなく、また、他分野での素人商法は通ぜず、ホテル経営だけでも数町億円もの損失を被った。加えて、リゾート開発、不動産業、出版、スポーツーレジヤー産業での失敗を加えると、多角化事業で大やけどを負った。</p>
<p>
	92年からは本格的なリストラに取り組むとともに、残った資源を本業につぎ込み、運輸業回帰の方針を鮮明にした。国際線はコスト削減を進めたほか、外国人乗務員を積極的に起用したジャパンーエアーチャーター（現ＪＡＬウェイズ）の運航を拡大した。国内では、ＡＮＡの独占していた路線に大型機を投入して、市場の切り崩しを図ったほか、98年には低コストでの運航を目指したＪＡＬエクスプレスを設立した。だが、国内線でのシェア（旅客数）は、85年の91.７％か<br />
	ら2000年の25・４％へと、15年間かかって、わずか３・７ポイント増えたにすぎない。経営陣の落胆は察するに余りある。</p>
<p>
	だが一方で、2000年から世界の航空業界は、バブル期の再来を思わせるかのような好況に沸いた。予約はファーストクラスなど上級クラスから埋まり、輸送実績が至るところで過去最高を更新する中で、ＪＡＬの根源的な経営課題は放念されてしまった。</p>
<p>
	そこに突然起きたのが、01年９月11日の米国での同時多発テロだった。平和な旅行を楽しむはずの民間旅客機を武器に使って、大勢の市民を殺傷する惨さに世界の人々は震え上がったが、航空業界が本当に震憾したのはその余波の大きさだった。テロが拡大することを恐れた米国政府は、民間航空の発着を禁止したが、再開後も、テロを恐れた人々は航空旅行を敬遠したのである。これにより、米国のみならず、米国発着の路線を多く運航していたエアラインが破綻した。名門のスイス航空、サベナ航空が倒産し、また、欧米のビッグーキャリアでさえ政府の緊急補助で、辛うじて破綻を免れた。</p>
<p>
	ＪＡＬの受けた影響も甚大だった。米国路線は、国際線売上の４割を占める最重要路線で、売上が１日５億円にも達するだけに、年間で1130億円の収入を吹き飛ばしてしまった。01年度の通期で３６７億円の損失にとどまったのは、上期で２３８億円の利益を出せていたからだ。本来であれば４３０億円の利益を出し、01年度は92年から始めたリストラの総什上げの年になるはずだったが、それどころか、この事態で企業の存続さえも危うくなった。</p>
<p>
	「スイス航空破綻」の新聞記事を目にしたＪＡＬの兼子勲社長（当時）の頭には、「長年の経営課題」が甦り、「国内市場の開拓を、今のままのペースでやっていては問に合わない」との思いが急速に強まったことだろう。</p>
<p>
	国内売上を大幅に高めて経営を安定させる早道は、日本エアシステム（ＪＡＳ）を吸収することだった。両社を統合すれば、国内線のシェアでＡＮＡと枯抗するだけの規模になるうえに、両杜の重複部分を合理化すれば大きな利益も期待できる。ＪＡＳは債務超過目前となって、各方面に企業売却を持ちかけているうえに、母体の東急グループの経営危機で、いつでも買収できる状況にあった。</p>
<p>
	問題は吸収の仕方である。ＪＡＳをＪＡＬ本体に吸収するのは簡単だが、ＪＡＳの負の遺産を一緒に取り込んでしまううえに、ＪＡＳの運航コストを引き上げてしまえば、ＪＡＳ自体の採算もより悪化する。一方ＪＡＬ側にとっても、10年間にわたる血のにじむようなリストラを終えようという段階に新たなマイナス要因が持ち込まれれば、再びリストラの必要性が生じるため、社内の反発は必至だった。</p>
<p>
	そこで思いついたアイディアが、別の企業体にしたままでグループに吸収する方法だった。ＪＡＬウェイズやＪＡＬエクスプレスと同様に、本体とは異なる人事組織で経営し、収益だけを本体に吸い上げる「分社化」の手法だ。運航、企業経営の基本体制はそのままにして、会計上だけ統合する。</p>
<p>
	「分社化」は、ＪＡＬの企業体質に極めて適していると思う。もともとＪＡＬには、優秀である反面、佃性的な人材が多く、ＡＮＡのように。致団結ができない集団である。そのために人事抗争が絶えない。「分社化」によって、いくつかの企業体ができれば、このエネルギーをそれぞれの組織で前向きに発揮し、経営に生かせるからだ。</p>
<p>
	東急グループとの話し合いは、単刀直入に行われ、数回の懇談で両者に信頼も生まれた。しかし、ゴールは見えてきたものの、具体的な検討に踏み込む前の11月11日に、経済紙がスクープして報じてしまった。同時多発テロからちょうど２ヵ月後だったが、マスコミも航空業界もハチの巣をつついたような騒ぎとなり、翌ロには正式発表に追い込まれた。</p>
<p>
	ＪＡＬは持ち株会社「日本航空システム」の下に、国際線と貨物事業の「日本航空インターナショナル」、ＪＡＳを継承し国内線を担当する「日本航空ジャパン」、ローカル線の「ＪＡＬエクスプレス」など７社で国際からローカル線までの総合航空輸送グループを築く。そして、缶合併効果で05年度までに連結営業利益は1200億円以上、連結ベースでのＲＯＥ（株主資本利益率＝株主資本当たりの純利益）10％以上の高収益、②・国内市場で雌大シェア、③為替の変動にた右されない企業、に生まれ変わるはずだった。</p>
<p>
	統合のシナリオは、予想以上に順調に進んだ。表向きには「対等の統合」を打ち出したこともあり、ＪＡＳの社長（当時）である舷曳寛屹は、「企業を救っていただけるのであれば&hellip;&hellip;」と協力的で、監督官庁の国土交通省も「大手のＪＡＳを潰さずに済んだ」ともろ手を挙げて竹成した。　波風を立てたのは公正取引委員会で、「独禁法に抵触の疑いあり」との見解を示した。両社の合併を予想もしていなかったために虚を突かれた格好のＡＮＡは、「国民のためにマイナス」<br />
	の憲見を懸命にアピールして世論を反対ムードに誘導しようとしたものの、消費軒は積極的に同調しなかった。</p>
<p>
	ＪＡＬは妥協策として「国内運賃10％の値下げ」と「３年間の運賃据え置き」で、「合併効果の利用者還元」の姿勢を見せ、公取委の了解を取り付けた。結果的には、３社でほぼ独占している航空業界の１位社と３位社の大統合ながら、すんなりと実現した。</p>
<p>
	02年10月に第１段階として、経営の統合が行われた。持ち株会社の「日本航空システム」が設立され、ＪＡＬ（日本航空）とＪＡＳ（日本エアシステム）が傘下に組み込まれ、国内線の運航便の整理・調整、運賃の統一、空港カウンターの共通化、マイレージプログラムの統合などが実行された。その後、１年半の間に、国際線の一本化、運賃・旅客サービス、タイムテーブルの統一、販売会社の統合・再編などが行われ、新ＪＡＬグループの企業理念、新たなＣＩ（企業アイデンティティ）、ブランドロゴの制定もなされた。<span style="display: none">&nbsp;<span style="display: none">&nbsp;</span></span></p>
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